都外にある高校校舎の一角には小さな部室が並んでいて、廊下には部室を使っている部の名前が扉毎に紙に書いてある。そのひとつに少し黄ばんだ紙に文芸部と書かれた部室があった。 部室の中は縦に広い準備室のような部屋になって真ん中に机が置かれていて、壁の周りには掃除用具を入れるロッカーや扉のない荷物を置くスチール棚に本やダンボールが無造作に積まれていた。 そんな教室の真ん中に細長い折りたたみテーブルを組み合わせた机の前で冬服の黒い生地のセーラー服を着た女の子が腕を組んでパイプ椅子に座っていた。 髪量は多く収まりの悪いボブカット、肩が丸く小さな背中はまだ高校生というよりはもう少し下に見えた。 背が低い女の子の目の前には文字入力のキーボードが付いている小さな液晶画面が点灯していて、画面は今時珍しい白黒画面にそこには何も打ち込まれてないで入力用の四角いカーソルだけが置かれていた。 「うーん」 誰も居ない部室で小濱芽沙(おばまめさ)は腕を組んで唸った。 芽沙の前にある液晶画面と文字を打つためのキーボードが付いてるのでノートパソコンに見えるが、文具メーカーが生産している文字を打つためだけの機械だ。様々なアプリケーションを切り換えてインターネットに繋げてブラウジングしたりゲームをしたりする事が出来る汎用的なパソコンではなく、ただひたすら文字を打ち、それを本体の記憶装置、メモリーに書きためるだけという機械だった。 文字を打つことしかできないので、文字を打つ事がないと何も意味が無い機械だった。 この文字打ち機械を前にして芽沙は完全に固まっていた。 「あっ」 ふと組んでいた手を解いて、キーボードに触れようと小さな手の細い指を開く。 指先がプラスチックのキーに触れる寸前のところまで行くと、芽沙はまた首を捻ったあとでうーんという唸り声を上げてまた腕を組んだ。 眉間に皺を寄せて天井を見上げる。 点けてないが天井からぶら下がる白い蛍光灯が見えた。 いつもだったら座ったままパイプ椅子を壁側に傾けて、安楽椅子のように揺らしながらパイプ椅子のバランスを取りはじめるのだが、この前はそれでひっくり返りそうになって慌てて足を踏ん張ったところを部室に居た先輩に観られて笑いながら危ないわよと怒られた事を思い出したので、椅子を後ろに揺らすことはやめた。 後ろに倒すことがダメなら前になら活路はあるのかも知れない。そう思った芽沙は今度は上半身を猫背に丸めて、腕を組んだままお辞儀のような格好をする。 机に突っ伏して寝るように持たれ掛からなかったのは自分の前には文字打ち機械が鎮座していたからだ。 それを退けて机に組んだ腕を投げて、重くなった頭を預けて昼寝でもした方が気持ちよくなるのは分かって居るのだが、そうすると目の前の文字打ち機械に負けを認めることになる。 そう、文字を打とうと文字打ち機械の前に、文字を打つしか機能が無い、このスマートホンという万能機械が幅を効かせる世の中で不器用なところが愛しい、親にパソコンをねだったらお前にはこれで十分だろうと渡されたこの文字打ち機械との関係が終わってしまうような気がした。 「文字を打つことしか出来ない自分に電源を入れてくれたという事はいよいよ文字を打ってくれるんですね」 音もなく、バックライトでぼんやりと光る液晶画面から生き生きとした声が芽沙の心には聞こえた。 「最近ご無沙汰でしたけど、いよいよ自分の文字を打つ機械としての本懐を遂げさせてくれるんですよね?」 クラムシェル型のボディーが開かれて見える灰色の液晶画面はそんな事を訴えてくるようで、プレッシャーに耐えられないのか芽沙は段々と頭を下げた。 芽沙は重い頭を支えるように、右手の指先で前髪に隠れているおでこを撫でた。 分かっている、今日は文字を打つために君の電源を入れた。 いや文字打ち機械君、君と今日一日最高のセッションをするために、昨日から充電をして今日この文芸部と書かれた部室の看板に偽りがないよう、一所懸命に文芸するために放課後終わって真っ直ぐにこの部室に来て、唯一の机の上に君を広げて対峙しているのだ。 芽沙は自分に言い聞かせながら両手で顔を覆った。 廊下側の壁にカレンダーが見える。秋の終わりを告げる秋分の日が赤く塗られているカレンダーの近く、月末に部誌締め切りという赤いマジックで書き込まれた文字が見える。 そう、芽沙の所属する文芸部は二ヶ月に一度の頻度で皆の原稿を持ち寄って部誌を発行している。 その締め切りが今月末に迫っている。 だが芽沙の原稿は目の前の文字打ち機械の画面通りにまだ一文字も進めてなかった。 「うーん」 なんども苦手な食べ物に挑戦しているように手を伸ばしてはやっぱりダメだと手を引っ込める。手を引っ込めたあと今度はもう一度、恐る恐るヌルヌルしてる爬虫類に触ろうとしているように顔を歪めながらおっかなびっくりにキーボードへ芽沙は手を伸ばしていた。 「あー」 芽沙は言葉ではなく呻き声に近い音を発しながら、キーボードに手をかざす。 だが指はキーを叩く事は無く、空中に浮いたままだった。 「なにやってんの?」 部室のドアが開いて同じ冬服の制服を着た女の子が入って来た。 芽沙と同じセーラー服姿だったが明らかに張り出した肩、滑らかに盛り上がる胸に乗るスカーフ、肩まで伸びた柔らかな髪と伸びた手足に着せ替え人形のような理想的な体型を見て眩しさとドアを開けた逆光に目を細める。 小さな顔に整った鼻筋、目元がはっきりとして大人っぽいが、冬服のセーラー服はまだ着慣れないのか初々しさを感じさせたりどこか大人か子供かアンバランスさを感じさせるのだが、どちらにもよってないのが魅力なのかも知れない。 廊下からの光で逆光気味だったのもあるが、彼女の周りは暖かく何もかもが瑠璃色に光って見えた。 「何よ睨み付けないでよ怖いわ」 キーボードに手を乗せようとして顔だけ扉に向けていた芽沙は思わず見取れていた事に気が付いた。 クラスメイトで毎日その姿を観てる筈なのに、不意に現れてその物憂げで冷ややかな目線に釘付けになったのだ。 「まーちゃんこそどうしたの?」 部室に入って来た女の子は芽沙のクラスメイトの結城まりあだった。 「別にこれって用は無いんだけど…...」 肩に掛けた鞄を持ち直しながら、もう片方の手で軽く肩の髪を撫でた。 まだキーボードの上に手を浮かせている芽沙は少しだけ考えた。 こんな美人の女の子が放課後人気の少ない部室棟の、文芸部という地味な場所に来る理由を考えた。 「ちょっと待って」 そういうと芽沙は椅子から立ち上がって反対側の壁側に畳んであったパイプ椅子を一脚出して、慣れた手付きで広げて机の端に置いた。 「まあ折角来たんだから座って」 芽沙が椅子を勧めるとまりあは硬い表情のまま部室に入って、肩に掛けた鞄を少し乱暴に、放り投げるように真ん中のテーブルに置いた。 そして足を畳むのが面倒なのか身体を机と平行に横向きにして肘をテーブルに投げるように座った。 投げ出された細い足を見て芽沙は何度見ても同じ人間の構造なのかと不思議に思うくらい綺麗で長い足がスカートの裾から短いソックス、ローファーまで続く姿をマジマジと見た。 「椅子ありがとう」 まだ硬い表情のまりあは言葉だけ御礼を言うと、肘をテーブルに置いた。 「部員以外が来たらお客様だからね」 このまま足を眺めてるわけにはいかないので芽沙も自分の席に戻る。 「他の人は?」 「うーん、この時間になっても来ないって事は今日はみんな来ないんじゃないかなあ?」 「そう……」 まりあは少し安心したようだった。 「めーちゃんはさっき何してたの? なんか難しい顔して固まってたでしょ?」 まりあも気楽に芽沙のことをめーちゃんと愛称で呼ぶ、高校で知り合った仲だが意気投合してすぐにあだ名で呼び合うようになった。 「あー見てないでよ恥ずかしいなあ」 原稿が書けずに悩んでいた所を見られて芽沙は態とらしく頭を掻いた。 「もうすぐ部誌の締め切りだからなんか書こうと思ったんだけど何も思い浮かばなくて……」 「それで固まっていたの?」 「私固まってた?」 「パソコンの前で難しい顔してたじゃない」 「そんな顔してた?」 「してた。それでドア開けてから声掛けるまで難しい顔のまま、なんか指だけピクッと動いててキモかった」 「えっそんな動きしてた?」 「なんで自分で気が付かないの?」 「いやあなんか凄く頭使ってたから、固まってたつもりはなかった」 芽沙は照れると、まりあも一緒になって笑う。 まりあは笑うと美人なイメージが年相応の女の子らしく見える。普段は上品なお嬢様のように見えて、あんまりクラスの女の子と会話してる時に簡単に愛想笑いしてる感じがないので、何か貴重なものを見せてもらった感じがした。 「めーちゃんが書けない事なんかあるの?」 「うーん今回部長が考えるのサボって、テーマが「自由」なんだよね。宿題の感想文とかああいう風になんかテーマがあればそれに沿って考えるだけだからなんか書けるんだけど、今回それがないからさあ、何を書けば良いのか思い付かなくって」 芽沙はボサボサになった頭を抱えた。 「なんか書く足がかりみたいなものがあったら良いんだけどね……」 芽沙に言われてまりあは根が真面目なので真剣に考えてるようだった。 「あれは? ほら、夜中によくアニメでやってる異世界ものとか書いたら?」 「私ファンタジーとかあんまり読んでないし、イメージ湧かないんだよね」 「じゃあ、鬼とか悪魔とか強いのと闘うのは?」 「うーんそういうバトルものって設定考えるの大変じゃ無い?」 「じゃあリアルなお話? 戦争とか?」 「隣の国で本物の戦争やってるのに戦争の話し書くのなんか陳腐な気がする……」 「じゃあ恋愛もの!」 「なるほど恋バナか!」 「そう、どう!?」 「あっよく考えたら私恋愛とかに興味が全く無い……」 まりあはパイプ椅子の背もたれに身体を預けて銃撃を受けたように仰け反った。 「全然お話書く気ないじゃん」 「違うのなんか考えれば出てくるから、それをやってるの」 芽沙はパイプ椅子の座面を両手で持って、上下しようとする自分を抑えた。 「でも全然出てこないじゃん」 「いやでもほら、なんか違和感から頑張ると捻り出てくるというかお話作りってそういうところあるんだよ。トイレで粘るとなんか出たーってなるのと同じで」 「ちょっと汚い話ししないでよ」 まりあは起き上がって芽沙を睨み付ける。 「例え、例えで」 芽沙はなんで便意の話しに例えたのか自分で分からなかったが、確かに自分の無い所から何かを捻り出そうとする行為は便意に似たものを感じるかもとおもった。 「もう、私はここにウンコが出るとか出ないとかの話しをしにきたんじゃない!」 「あっそういえばまーちゃん何しに来たの?」 冷静になって芽沙はまりあの方を見た。 まりあはそうなんども頻繁に文芸部の部室に来てるわけではない。芽沙から漫画や小説を借りたりするときに教室だとなんか周りの目が気になるからと部室で渡すときにぐらいだった。 何か借りにくるとしてもこの前部室に来たときに岩明均のヒストリエを全巻貸したままだから、戻して違うものを借りるにしてもまだ早い。 「えっ?」 「なんか話したいことあるからわざわざ物理で会いに来たんんじゃないの?」 何か要件があるならSNSでメッセージを入れれば良い。それじゃなければ込み入った話がしたいのだろうと思うのは自然な事だった。 「うん、別にそんなことないというか……」 腕を身体の前に伸ばして手を組んで芽沙から目線を外す。 まりあは少しいじらしく身体を揺する。口には出さないが芽沙はエロいなあと思った。 「そうかまた蒲田くんとなんかあったんだね」 「ほんとちょっと聞いてよ。アイツほんとマジであり得ないの!」 聞くも聞かないを返答する前に、まりあは整った顔を怒りの表情に切り換えた。 蒲田薫(かまだかおる)は同じ高校のまりあの幼なじみの男の子だった。 写真部に所属して、週末は電車とかに乗って、いつもどこか遠くに写真を撮りに行ってる男の子だった。 「この前ね薫が横浜に行くけど?って言うからまあ私はあんまり乗り気じゃなかったけど、久しぶりに近くだし、一緒に中華街とか行くの良いかなあって、少しだけねオシャレとかしたんだけど」 芽沙はまりあからこの服どうかな? と何パターンも自撮りしてメッセージアプリで送って来たのはやっぱり蒲田くんとのデートのためだったのかと理解した。 「そしたら横浜に朝着いたらいきなりどこ行ったと思う?」 「あっガンダム?」 「なにそれ?」 「青と白の大きいロボットの事だよ。いまアトラクションで常設展示されてるよね?」 「あっあったけどその近くにさ大きな船がいっぱい止まっててね、なんかほら偶にテレビにでて来るミサイル打つ船がいっぱい海に居て」 「ああ、なんかニュース見た。確か自衛隊の船の一般公開がやってたんだよね。そうか蒲田君行ってたんだね」 「えっ、めーちゃん興味あるの?」 「うーん、まあそんなにおいそれと見れるものではないからね」 「朝の八時半から並んだんだよ」 「ああ横浜だから人多そう」 「凄いいっぱい大きなカメラ持ってる人とかいっぱい居た」 「へえ楽しそうだけど……」 まあまりあは興味無いだろうし、おしゃれして足場の悪い軍艦に乗り込むのはどうかと思うが、事前にそういう場所に行くと共有しないのはマイペースな蒲田くんらしいと芽沙は思った。 「それで山下ふ頭から大桟橋、赤レンガ倉庫まで全部のところに船があって全部見ようって歩かされてさ、それでお腹空いたから途中で中華街の方一緒に行かないって誘ったら」 まりあは拳を作って机を叩く。おもわず芽沙は背筋が伸びた。 「ひとりで行けば」 まりあは低い声で男の声をモノマネした。 「ですって、こっちはアイツの趣味に付き合ってやってるのに私の気持ちを全然汲んでくれないの! ありえない!」 まりあの怒りの演説を見て芽沙は古い白黒映像で映る独裁者の姿を思い出した。 「でっ途中で怒って帰っちゃったの?」 「なんで知ってるの?」 「いや、今の流れだとまーちゃんの性格考えると怒ってその場で帰りそうだなあと」 そして蒲田くんは追いかけないだろうなあと思った。 「私が悪いの?」 胸に手を当ててまりあは芽沙に迫った。 「いや別に悪くは無いけど……」 まりあ見たいな美人が文句を言ったら男の子だったら何かと気を使いそうな気がするが、蒲田君はそこまでクールなのかと芽沙は感心した。 「もう最悪の週末だったわ」 柔らかい髪に手を入れて、まりあは不機嫌そうにまたパイプ椅子に腰を降ろす。 「なんなのよアイツは少しはこっちの事を気にしてくれても良いのに……」 まりあは美少女だから相手にしてくれない事に慣れてないのかな?と芽沙は思ったが、それは口に出さない。 「まーちゃん的には久しぶりのデートだったから楽しみにしていたんだね」 「別に私は……そんなに……」 あんなにデート前に服を選んだりして準備してるのだから説得力ないなあと芽沙は思った。 「しかしなんで蒲田君は塩対応だったんだろ、珍しくまーちゃんと一緒に出掛けたのにね」 「知らないわ本人に聞けば」 「失礼します」 外で部屋の中でも見てたのかと思うくらい絶妙なタイミングで黒い学生服をきた男の子が部室に入って来た。 背の高さはまりあと同じぐらいだが、髪の毛は整髪料などは使わずボサボサで、頬にはニキビも見える。 顔自体は悪くないし、背も高いのだが人目を引くまりあのような魅力は無い。 「あれ部員小濱だけか? 先輩とかは?」 ハッキリとした声量で蒲田薫は芽沙に声を掛けた。 「今日は部室に来てるのは私だけだよ」 「そうなのか……ちょっと用事があったんだけど」 ドアを開けるとちょうど目の前にまりあがいるのだが、視界に入ってないように蒲田は芽沙の方を見て話した。 「ちょっと待ってみる?」 「それじゃあこの後用事があるんだけどちょっとだけ待たせて貰うか」 蒲田はなれた手付きでパイプ椅子を持って部屋の奥に進む。 学校指定の鞄とは別に大きな荷物を抱えていた。 机の端、まりあとは対面の場所に椅子を広げて蒲田は席に着いた。 まりあは机に肘を付いたまま蒲田から顔を背ける。 椅子に座った蒲田はそのまま深く腰を降ろしてなんだか試合を待つ柔道家のように腕を組んで胸を貼ってテーブルの前を見ていた。 その間に座ることになった芽沙は、なんでちょっと待つなんて蒲田に声を掛けてしまったのだろうかと頭を抱えたくなった。 なんで火中の栗を拾うようなマネをしてしまったのだろうと心底後悔をした。 「二人で何してたんだ?」 まりあの事は視界に入ってるぞと蒲田が言ってきたので無理やり無視して居るのではないということはわかった。 いや、あえて高度な俺はまりあの事なんか気にしていないし、喧嘩なんかしてないという意思表示なのだろうか? 芽沙は色々考えながら次の一手を探る。 「えーと私の部誌の原稿の進みが悪くてその相談をしてたんだよ」 芽沙は一瞬色々な事を考えたが、たぶん蒲田くんはそんな駆け引きとか考えるようなポジション取りは絶対しないだろうなあと思ったので普通に応えた。 「小濱のこの前の魚釣りして魚ばっかり食べてたら獣耳美少女になってしまって普通に生活楽しんだ話し面白かったけどな、続き書けば?」 「あれはテーマが「魚」だったから思い付きで書いたんであって、続きなんか思い付かないよ」 「ふーんそういうもんなのか」 蒲田の具体的なアドバイスに芽沙はなるほど続編という手もあったかと感心して、一瞬部屋が最悪な空気に包まれて居ることを忘れた。 「何かの続き書くのはアリかも知れないけど、なんか逃げてる感じもするなあ」 「まあ新しい事考えるのは大変だろうけどな、そうだこの前横浜行って来た時の写真があるんだけどなんかアイデア出るかも知れない見るか?」 そう行って蒲田は学生服のポケットからUSBメモリーを出した。 「この前、横浜であった軍艦の一般公開の時の写真なんだけど、そのノートパソコンで見れるか?」 「これパソコンじゃ無いんだよね、文字打つだけのヤツなんだ」 「マジか、さすが文芸部余計なものは必要ないのか、ストイックな感じがミリタリーっぽいな」 「そういう縛りじゃ無いんだけどね……」 芽沙は刺さる視線を感じて少しだけまりあの方を見る。 まりあは不機嫌そうにただ部室の壁を凝視していた。 「まあまた漁港巡りとかするんだったらまたこの三人で行こうぜ」 「そっそうだね……」 「最悪」 まりあは席を立って教室の外に出ようとする。 「まりあ」 声を掛けたのは意外にも蒲田だった。 芽沙は自分じゃ無くて先に蒲田がまりあに声を掛けた事に驚いた。 「どこに行くんだ?」 「どこでも良いでしょ」 「そりゃまりあの勝手だけど、鞄置いてどこに行くのかなと思って、戻ってくるのか?」 「お手洗い」 「大きい方か?」 「バカ」 キツイ一瞥をしてまりあは教室を出た。 「なんだアイツ?」 「ちょっと蒲田くん、なんでまーちゃんに横浜のこと謝らないの?」 「謝る?」 「怒らせてデートとの途中で帰っえちゃったんでしょ?」 「なんの事だ?」 「ほら、横浜にまーちゃんと一緒に行ったんでしょ?」 「あれデートだったのか?」 「えっ?」 「嫌、俺は週末横浜に行くんだけどお前はなんかするの?って話し振ったら急に私も横浜に行きたい用事あるから一緒に行くっていうからじゃあ一緒に行くかって話しになっただけだぜ?」 芽沙はなんだか二人の話が微妙に噛み合ってない気がした。 「俺は横浜に軍艦たくさん来てるけど用事が被って写真撮れないから代わりに撮って来てって文芸部の部長に頼まれてさ、全部撮るのにすげえ時間かかりそうだからアイツの事まで面倒みきれなくて、なんか動きづらそうな服で足も痛そうだし疲れただろうから行きたがってた中華街とか寄って先に帰れば?って言ったんだけどな」 芽沙は頭を抱えた。 「あーあのさ、結構まーちゃん気合いが入ってるっていうか綺麗な格好してなかった?」 「うーん、いつもとあんまり変わらなかった気がするけどな」 そうか蒲田くんと私服で会うときいつもまりあは気合い入ってるからもしかして違いに、まりあのデートモードに気が付かないのかも知れない。 「とにかくほら久しぶりに二人で出掛けて途中で別れちゃったんだから、まーちゃん蒲田くんと一緒に中華街とか山下公園とか軍艦じゃなくてもうちょい普通の人が楽しい所を二人で歩きながら楽しみたかったんだよ」 「なんで俺と歩くのが楽しいんだ?」 「まーちゃんは楽しいんじゃないの? 私にはわからないけど……」 他人に興味がなく男女の恋愛感情に疎い芽沙にはわからないので、デートのドキドキする気持ちはよくわからないが、たぶん一緒に写真撮ったりしたかったんじゃないかと思うのだが、当事者的にはめんどうなことなのだろうか? 「俺はそもそもまりあと一緒に人混みの中を歩くの苦手なんだよな……」 「なんで……ああそうか。もしかして目立つのが嫌とか?」 「そう、それな。アイツと歩くとまあ色々なヤツからジロジロ見られるしな。そうそうこの前の横浜も護衛艦見てた時も気が付くとカメラ向けられてて、隠し撮りしそうなヤツに目配りしたり大変だったんだよ」 芽沙もまりあと出掛けるときに偶にそういう時があるので良く分かった。確かに芽沙と二人の時はまりあも地味で目立たない服を着てくるけど、蒲田含めて三人で行動する時は気合い入れてくるのでよく目立ってた事を思い出した。 「だから俺も疲れてたから頭回らなくて帰りたければ帰れば良いんじゃない。おれは頼まれ事があるから一緒に帰れないけどなって言った筈なんだけど、もしかして言ってないか……」 自分で話しながら蒲田は納得した。 「ちょっと蒲田くん、それはダメでしょ」 芽沙は蒲田に近づいて抗議する。 「まりあちゃんあれで放っておくとすぐ悪い方に考えちゃうネガティブ思考なんだから嫌われたかと思っちゃうんじゃないの?」 「既読スルーとかされてるから、またメンドクサイ事になってるんだろうなあってのは知ってる」 「さすが幼なじみ良く分かってるね」 「まあ、あの美女で野獣の相手をずっとしてるからな」 幼なじみの蒲田はずっとまりあと同じ学校だった。 「ふふ、それ面白いね」 「ほんとアイツと一緒に居るのは疲れるんだけどな、やっぱり横浜は小濱とかと一緒に行った方が良かったかもな……」 「私と?」 「地味どおしさ、ミリオタっぽく静かに落ち着いて写真撮れたんじゃないかなあと」 「その提案素直に喜んで良いのかな?」 「何が?」 「蒲田くんもなかなかたらしだよね?」 「俺が?」 「だってまーちゃんみたいな綺麗な子に好かれてるのに平然としてるって凄い」 「あいつとはずっと一緒だから慣れただけだよ」 「ねえどうしてそうやってまーちゃんを邪険に扱うの?」 蒲田は眉間にしわを寄せて面倒臭そうな顔をする。 「別に邪魔なわけじゃないけど、近くに居るとなんか俺みたいなのが隣に居るのも悪いなって、あいつは華やかなところの方が似合うのになっとは思う」 「ふーん、独占欲とか無いの?」 「俺には荷が重いよ、だから遠くにいって離れるんだけど、気が付くとあいつが近くに居る感じがするんだよな」 「どんな時?」 ふと蒲田は自分の持って来た荷物に目配りする。 「どこかに行って綺麗な花とか見てるとアイツの事思い出すんだ、この前も横浜の次の日に山奥の秘境駅探訪に田舎に行ったら、軒先で綺麗な花が咲いてたんで見取れて写真撮ってた、育ててた婆さんがそれ良ければ持って帰るかい?って荷物になるから断ろうと思ったんだけど花を摘んで新聞に包み初めて……」 面白そうな話しだと思って気が付くと芽沙は前のめりで聞いていた。 眼を輝かせて根掘り葉掘り聞いてくる芽沙の顔をみて始めて蒲田はしまった話しすぎたと思った。 「小濱は話し聞くの上手いな、だからまりあもここに来るんだろうけど」 「えっそう?」 芽沙と蒲田が見詰め合ってると部室の扉が再び開いた。 扉の前でまりあが仁王立ちする。 「あっお帰りまーちゃん」 「めーちゃん、ちょっと一緒に来て」 「えっなに?」 有無も言わさずまりあは教室に入ると芽沙の腕を掴んでまりあは教室の外に連れ出そうとした。 「どこ行くんだ?」 「ツレションよ、バカ!」 綺麗な口から飛びっきりの汚い言葉を吐いて芽沙を連れてまりあは部室を出た。 「まーちゃんどうしたの、トイレもう一回行くの?」 「トイレ行ってない」 手を離してまりあは背中を芽沙に見せながら話した。 「外出た時、芽沙と薫を二人にしちゃったから、何話してるのか気になって扉に耳くっつけて様子聞いてた」 こんな美少女が文芸部の部室の扉に綺麗な顔を追しつけてる状況ってなんだろうと芽沙は思った。 「ごめん、なんか聞き耳立てるってなんかめーちゃんのこと不信におもうというか……」 「別に悪い気はしてないけど、そんなに気になるんだったら一緒に部室に戻って蒲田君の話を聞く?」 「良いわよ、薫は私の事なんか気にしてないもん」 「そんな事無いよ」 「だって部室に入って来ても私の方を見もしない」 「だってまーちゃんアレだけ私怒ってますオーラを全身から出したら声掛けずらいよ普通」 「じゃあどうすれば良かったの?」 「えーと、妥協するとか? この前は怒って帰っちゃってごめんなさいって」 「だってあれは自分勝手な薫が悪い」 腕を伸ばしてまりあは怒り肩で抗議する。 「まあそうだけど、そこを妥協で私も悪かったけど蒲田くんも悪かったよね?って媚びる方向に持っていけばいいんじゃない?」 「そういうの嫌」 子供みたいというよりはまりあの態度は子供そのものだった。 「小説とか書くときに先輩にあんまり不思議って言葉使うなって言われたんだけどね」 芽沙は嬉しそうに話し始める。 「やっぱり不思議だなって言葉しかハマらない時があるんだよね。まーちゃんと蒲田君とかの関係って言葉にすると多分、彼氏と彼女とか幼なじみだからとか相思相愛とか色んな言葉が当てはまるんだろうけど、どれも含んでてさ、それでいてなんか違う様な気がして、なんだか不自然そうで自然なバランスな気がして結局不思議だなあって言葉を使いたくなるんだよね」 「ちょっとめーちゃん、何まとめようとしてるのよ!それに私は薫とこっ恋人とかそういうの言ったこと無いし、付き合ってるとかもないから」 芽沙の両肩を小さな手からは信じられない握力でまりあは掴んで芽沙を前後に揺らした。 「もーそういう白黒つけない二人の関係がゲロ甘いので酔いそうなのにこれ以上揺らさないでよー」 「あーもう、バカにしてる!」 冬が近づいているので放課後の廊下は少し暗くなっていた。 雲がどんよりと白く空を覆う。 「なにやってんだお前ら、もうツレション行ったのか?」 教室から鞄を持って蒲田が出て来た。 じゃれ合ってるまりあと芽沙を見たあと、何か言いたそうな顔をしたが、頭を掻いて言葉を呑み込むと、態とらしく咳き込んだあと蒲田は口を開いた。 「部長も来ないみたいだから、用事あるから帰る」 「そう」 芽沙はまりあに目配りする。 「あの薫」 少し顔を下げてまりあは伺うように蒲田に声を掛ける。 「なんだ?」 「この前の横浜で一緒に船みた時に……」 「ああ、悪かったなたくさん歩かせて」 まりあより先に蒲田が謝った。 「ううん楽しかったけど、なんか、ごめん」 「そうか、じゃあまた都合が合えばどっか行こうぜ、小濱もな」 「私はいいから二人で行けば?」 「一緒に行こう」 「一緒に行って」 まりあと蒲田二人同時に声掛けられた。 「じゃあ三人で」 そう芽沙が宣言すると二人の横を通おろうとする。 「なあ小濱、女子がトイレ行くときに「お花を摘みに行く」って隠語あるじゃんか? どうしてお花を摘みに行くって言うんだ?」 「ああ女子は座るからそれがお花を摘むような姿だからって聞いた事あるよ」 「すげえな」 「そうだね。なんか部屋に居るのにそれでお花を摘みにって意味分かんないよね」 「違う、すぐに答えが出てくる小濱がすげえって思ったんだ」 蒲田が少しバカにしたように鼻を鳴らして笑った。 「小濱悪いけど部室に荷物置いておいたからお前の采配で渡しておいてくれ」 「私に?」 「話しのネタを置いておいたから小濱に任せる」 そう笑いながら蒲田は二人に手を振って帰って行った。 芽沙とまりあもぎこちなく小さく手を振る。 「ちゃんと謝れたじゃん」 手を止めて芽沙はまりあの方を向く。 「うん、けどなんか寂しい感じがする」 「そうなの?」 「だって言葉ってなんだか簡単というか、意地でも横に居たりとかしたほうが何か伝わるような気もする」 まりあはどこか思い詰めたように蒲田が居なくなった廊下を見つめた。 芽沙は絵になるなあと感心してしまう。 「そうだね言葉は簡単すぎるかもね」 「文芸部のめーちゃんがそれ言って良いの?」 芽沙とまりあは二人で扉の前の文芸部という張り紙を見る。 「まあ私は簡単な事も出来ないし」 照れながらはにかむ芽沙を見てまりあは抱きついた。 「どうしたの?」 「ごめん、ちょっとギュッとしたくなった」 まりあは良い匂いがするし、とても柔らかいので抱きつかれて不満は無いが、ちょっと芽沙は廊下で他の人も見てるかも知れないので恥ずかしかった。 「とりあえず原稿進めないとなあ」 扉を開けて部室に入ると、ちょっとだけいつもと違う匂いがした。 そこには新聞紙に包まれた花が置かれていた。近くには入れてたであろう白い箱が置いてあった。その横にはさっき蒲田が持って居たUSBメモリーがあった。 たぶんUSBメモリーは部長に渡せということだろう。 そして新聞紙に包まれた、蒲田がもらって困ったという花だろうが、晩秋に咲いた様々な深い色合いの花々が、地味な部室の中で彩りを放っていた。 「綺麗なお花」 まりあがゆっくりと花束に近づく。 蒲田が大きな荷物を持ってこの部屋入って来たが、さっき部屋を出るときには持っていなかった。 「お花は蒲田くんからまーちゃんにみたいだね」 「なんで私なの?」 「だってさ凄くまーちゃんに似合ってるよそのお花」 「そう」 まりあはそっと花束を持ち上げる。 色とりどりの花と黒い制服のコントラストはとても落ち着いて見える。 花に近づけたまりあの顔は淡く朱に染まる。 芽沙はさっき聞いた「旅先で綺麗だなって思う花とか見てると、まりあの事を思い出すんだ」という聞いた事をまりあに言うべきかどうか一瞬悩んだが、そんなことは言伝する必要があるのか、言葉よりも花束で十分伝わってる気がした。 「なにめーちゃん?」 「えっなにが?」 「私がこれくらいで喜んでるって可笑しい!?こんなお花くらいでよろこんで安いなあ、ちょろいなあ思ってるんでしょ?安いわよちょろいの! こういうことされると嬉しいの! あーもースキよスキー大好きー!!」 思わず芽沙が母親のようにまりあを見守ってしまったので、バカにされたと思ったまりあは、何かが許容値を超えたのか、花束を抱えて大きな声を上げた。 「まーちゃんそんな素直で清々しい気持ちをこんな陰湿な文芸部の部屋で叫んでもしょうがなくない?」 芽沙は呆れて溜息をつく。 「だってこんな事されたらまたどんな顔して会えば良いかわかんない……」 顔を赤らめて、まりあは瞳に薄らと涙を溜める。 「蒲田くん本当に用事あるかどうかも怪しいし、花束を渡すの恥ずかしいから理由付けて帰ったのかも知れないし。もしかしたら気になってその辺居るかも知れないから早く追いかけてお花ありがとうって言えば?」 「でも……」 「綺麗なお花ありがとうって言えばいいの、それとも食べられるものが良かったとか言う?」 まりあは首を大きく横に振った。 「それじゃあ行ってらっしゃい」 芽沙はまりあの鞄を手渡して、部室のドアを開けて背中を押した。 「あっありがとう、めーちゃん」 走り出そうとするまりあは一瞬身体を留めて芽沙へと振り返った。 「あっめーちゃんお話書いたらまた読ませてね」 芽沙は早く行けばと小さく手を振ると、まりあも小さく手を振って廊下を走り出した。 慌てるように花束を抱えた美少女は髪を揺らして廊下を走り出した。 すれ違う生徒は皆眼を奪われる光景だった。 芽沙は花の匂いが残る部室の中でもう一度座ってキーボードの前に座った。 液晶画面を見てキーボードの前に手を置いた。 文字打ち機械の液晶画面はじっと芽沙の方を向いていた。 「さあお話を書いてください」 そんな声が聞こえてきたので芽沙は、今日この教室であった事を思い出す。 「うーん、書けない」 その日は結局芽沙は一文字も文字を打つことはなかった。

END

NotionのAIによる要約

「書くことが無いのに文芸部、遠くに咲く花近くに居る君に見えた。」

この物語は、文芸部の女子高生たちの日常を描いたものです。物語は、まりあと芽沙の会話から始まります。まりあは、蒲田からの花束を受け取り、花束を見て感動し、芽沙に「綺麗なお花ありがとう」と言います。しかし、まりあは、蒲田が花束を贈った理由が分からず、芽沙からアドバイスをもらいます。その後、まりあは花束を抱えて教室に入り、芽沙は原稿を書こうとしますが、結局一文字も書けませんでした。この物語は、日常の些細なことから人間の感情を描いた、深い物語です。